Petite・プティット Home

小学生のみなさんへ
そして、そのご両親様と学校の先生へ

みんなが同じ、それが平等と考えるところに落とし穴がある。
(自由、平等:えこひいき(アンフェアーな心)が混乱し、社会主義交じりのお仕着せ民主主義)

自由の裏には厳しさがあり、平等の裏には努力が隠れていると思います。自由も平等も相手から与えられるものではなく、自分自らが勝ち取るものと言ってもよいかもしれない。これが本来の民主主義なのではないでしょうか?相手から与えられる自由や平等は社会主義社会に存在するもののような気がします。このあたりが、第二次世界大戦後、アメリカにお仕着せられながら取り入れられた民主主義だからなのか。お仕着せが本物になるには難しい、何処かで歪みが出てくる。お仕着せの民主主義の歪の割れ目に落ち込んだ子ども達はどんな行動をとってしまうのだろうか?我々日本人は平等と民主主義、自由を間違った思考で取り入れてしまってはいないだろうか?

日本の小学校の成績表は、この学年でやるべきところがどこまで達成出来ているか読み取るのが難しいと聞きます。みんなが同じ、平等、この考え方からそのような評価になっているのでしょうけれど、本来の平等からは逸脱されているように思う。テストの上位からその学校の学年で成績順に評価が出されるのはナンセンス。国全体で取り決めた到達度によって評価されるべきだと思います。成績順にクラス分けがされ、自分の到達度に合わせた授業を受けることが真の平等であるはずです。レベルの全くに合わない生徒が一緒に授業を受けた場合、先生はどんな授業をするのでしょう?レベルをどちらかに合わせてしまえば、一方のレベルの生徒には役に立たない授業内容になります。その生徒の真の損得を考えた場合、大変不平等な授業になってしまう。一人一人の生徒になるべく平等な授業内容を与えるべきと考えたなら成績によってクラス分けがされるべきであり、その生徒の努力と成果は到達度によってクラス分けを変更することです。生徒自身にやる気を起こさせる方法論にもなると思います。各生徒が得意、不得意分野があるはずですから、教科ごとにクラスが変わらなくてはいけませんね。そうなると、出来る子、出来ない子が分散されます。子どもには必ず得意な分野があるはずです。それが見つけることができない学校生活ならば、学校生活自体に問題があるはず。

学校が楽しくないと思った時、授業内容が理解できているだろうか?
不当な理由で苛められていないだろうか?
自分の心で確かめてみてください。
子どもの権利として自分に合った学校の授業を請求してもよいではないですか!
苛められている理由は何かを突き止めてみてください。
苛めに対して抗議する権利が必ずあるはずです。
その理由が不当な場合は、ご両親と学校側にはっきりと相談しましょう。
何が何だか分からないまま、自分自身を苛めてはいけません。
大切な自分を守ってあげましょう。

小学生はTVや自分の周りの環境から良いこと、悪いこと、マナー、考え方を学びながら、子どもの素直さでその考えを自分の生活の中に表現してくる時期だと思います。お友達や周りの人間に身体的障害者が居た場合、どのような対応になっているだろうか?周りの人とは違った何かを持っている子も多く居るはず。日本にはみんなと同じになろうとする努力をしてしまう風潮がありますので、素直に自分を表現する子は日本社会で目立ちますね。本来は全ての人間が違った多くの点を持っているにも関わらず、、、。何が良いことで、何が悪いことかを考える前に、みんなと同じになろうとする考えが出てきてしまっていませんか?何かの折に人とは違った何かを指摘することで相手よりも強くなろうとする心が、みんなが同じと言う考え方になすり付けられているように思うけど?人とは違うところを持っているだけで、そのお友達を仲間はずれや苛めの対象にしてしまうことはないだろうか?ここで、みんなが同じ、平等のはき違いが起こっていると思う。人として同じ心で相対することが出来るかどうかが平等ということであって、みんなが同じは表面的に同じことではない。平等な心の根底には相手を尊重する心があるはずでもある。障害がある人が居たならば、やたら親切に接することでもない。彼らが同じように行動できるよう、どうしても手助けが必要なところを何気なく助けしてあげること、そして、常に自分と同じ心の立場が保てることです。

ある殺人犯が自分の生い立ちを嘆いた。
「子どものころ、身体的欠点を笑われ、苛められた。」
ある海外の方が「日本のお笑い番組は暴力番組」と言った。
相方を叩いてお笑いをとる。
首から上は手を上げてはならない、触っては失礼になる。
最低のマナーであるはず。
裏を返せば、叩かれても相手を信頼出来る平和な日本と言うことにもなるのだろうか?
大方の海外では通用しない愛情表現?である。
まずもって、相手を尊重していたら手を上げるはずが無い。

みんなが同じ、それが平等と考えるところに教育の落とし穴があるのではないだろうか?
何気なく、感じたことを子どもたちにも分かるように文章にしてみました。
そうだね。と思う人、なにいってるんだよ。と思う人。いろいろかもしれない。
ただ、日本の中からは見えにくい問題なのかもしれない。。。

「自由」については以前にどこかで書いたけれど、、、何処に格納したのか忘れてしまった!
見つけてからリンクします。読んでください。
文章を書くことがあまり上手な私ではないけれど、みんなに伝わるといいな、、私の心。。

2005年05月14日Petite Mum