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Petite Mum のつぶやき

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プティットガーデン

 

資本主義社会と勉強
我が家からの眺め
子どもの安全
笑の絶えない家庭
ハーブ・・バジル・・人間と植物の重なり合う思いやり
良薬の「たくあん」

蜘蛛の命

飽食の田舎食生活

さよなら ぱいぱいおじさん(おねえさん) 
パイパイおじさん、お見舞い申し上げます。
お母さん
日本で待っててくれる人(パイパイおじさん)
子どもへの虐待
きらびやかなクリスマスシーズン
知るための仕事ぶりがスリリングな英国
パイパイおじさん(クリスマスの日)
カルチャーその2
カルチャー
人生のパートナー
安心と穏やかな不思議空間ータイムトラベル?
家族ってカッコいい!!
英国のバースデープレゼントと動物愛護
イギリスの奥様が方の会話から人種差別・・・
戦争で負けたことが無い国・地震が無い国の建物・・・英国の建物から垣間見る世界経済

一人で悩まずMail下さい
ショッキングなニュース
STAR WARS EPISODE Ⅱ/Attack on the Clones(クローンの攻撃)
親とは
ごめんなさい。とありがとう。
宇宙が地球が神様が創った人間なんだから
優しい心をいただいて

 

資本主義社会と勉強

戦後、犯罪者に必要だったのは、貧困救済だったかもしれない。
現在、犯罪者に必要なのは、精神鑑定かもしれない。

戦後、資本主義、民主主義が経済繁栄をもたらし、貧困が起こす犯罪は少なくなった。
現在、資本主義、民主主義の中、人間の価値観が経済にばかり偏り、心に空虚さを感じさせている。

戦後、生きる意義を経済発展に寄与する自分を生きがいに、経済的、マテリアル的に豊かとなるよう家庭のために、自分のために、働いた。
現在、地球の原動力、経済との過酷な戦いは昔と変わらないが、最低限の生活が確保できる豊かさがあっても、もっともっとと際限なく豊かさを求める社会であり、社会の価値観が心を忘れ去り、経済を中心とする価値観に拍車がかかってしまっている。資本主義経済とは人間に休む間を与えない過酷な経済原理でもある。資本主義経済価値観の行き過ぎとなっている事に我々は気がつかなくてはならない。

子ども達の叫びが聞こえてくる。
「どうして勉強するの?」
「社会に出ても殆ど使わない勉強をして何の役に立つの?」
「ぼくの価値観をたった数時間の薄っぺらなテストペーパーで決め付けないでくれ!」
どうして、学校に行き、勉強をしなければならないか、納得できるように説明できる親が何人居るだろうか?真の回答が出来る親がいるだろうか?
「いい学校に行くために勉強をするのよ。」
どうしていい学校に行く必要があるの?
「あなたの将来のためよ。」
学校で将来が決まるの?それって結局は一発勝負のテストという紙切れで決まるの?
何だかんだと言っても親が言いたいのは「子どもの将来が安泰であって欲しい。」と願うから。
今の世の中の安泰とはいったい何か?
資本主義社会の中で、経済的安定と豊かさを享受できる生活であると誰もが考えるであろう。
勉強するのは、この資本主義経済社会の中で優秀な働き手となるために必要なことで、資本主義のシステムによって、子ども達は勉強させられることになる。
資本家にとって、資本を増やしてくれる働き手が必要なんです。
地球はまるで蜂の世界のようだ。
資本家が女王蜂なら、地球の殆どの人間は働き蜂。
地球のシステム、資本主義や民主主義をどこまで深く掘り下げて考えられるかで、生きる価値観や何が大切なことであるかを見つけることが出来ると感じます。
子ども達はこの大きなシステムや原理を具体的に知らないままに、目先のことだけで目一杯です。だから、生きることが苦痛になります。もしくは精神的に狂ってしまう。そのきっかけはさまざまであろうけれど、現在の社会現象は社会が生み出していることに間違いありません。一人ひとりが社会の病理に気が付かなくてはならない。

あなたのまわりで起こっている問題や事件の根底にお金が絡んでいることって多くありませんか?
いつしか人間はこのお金に心まで振り回されるようになってしまいましたね。

現在の経済システムは便利かもしれないけれど、けして完璧なものではありません。
このシステムの歪に心を奪われないよう生きたいものです。

すでに十分豊かな生活があって、何のために勉強するのか、その意義が見つけられないままに、頭ごなしに「勉強しなさい。」と言われても子ども達の心の中は混乱するばかり。親が勉強したその時代とは社会の空気が違う。国や世界の経済的豊かさも違う。子ども達から見れば、訳の分からない親からの忠告は心の安定を崩す。崩壊した子ども達の心からどんな現象が起こっているか?私たちはこの問題を真剣に考えなくてはなりません。

生きるということはそれだけで過酷なことであり、その中にどれだけ多くの喜びを享受できるかが人間の生き様なんでしょうね。

2007年05月26日

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我が家からの眺め

ペントハウスに引っ越して早3ヶ月。朝日から夕日までお部屋を移動することにより、太陽を独り占め。私と一緒にハーブたちも移動する。専用エレベーターのある最上階の生活は快適だ。ベランダからの眺めは格別。コッツウオルズの丘が広がり、有名女子校ハウスのお庭が目の前にある。このお庭、眺める角度によって我が家のお庭のようにも見えてしまう。オンスイート(ベットルームにその部屋専用のシャワールームとトイレ、洗面所がある。)のベットルームを含む2ベットルームに壁一面が透明ガラスで仕切られたキッチンとリビングルーム。キッチンは大理石が使われ、洗濯機、食器洗い機、冷蔵庫、オーブン、ガスレンジ、食器棚が同じデザインのオークで作られている。お鍋、カトラリー、電気ポット、食器など生活に必要となるキッチン用品は全て高品質なものが取り揃えられており、おしゃれな機能性あるキッチンである。ひとつ下の階にある玄関。そこを入ると絨毯張りの階段があり、途中ガラス張りのホールを通りこし、再度階段を上って専用エレベーターのあるホールに着く。家具は南アフリカからのオーダーメイド家具をはじめ、色、デザインが統一された家具が入っている。絵画の数11個。そして、全てが新品であり、この家の住人は私達が始めての人。
おいでいただくお客様やお友達からの評価は「セレブリティーなお家!」だそうで、住んでいる私も確かに!と思える。生まれてこの方、ここまで高級な家に住んだことがない。人生観まで変わってしまいそうです。そこで、この文章をお読みいただいている方々は、プティットマムは超お金持ち!とお思いになるかもしれない?しかしながら現実はそう簡単なことでもありません。この家に引っ越す前にも同じビル内の階下にあるお部屋に2年間住んでおりましたが、あまりにも問題が多いために同じ階にある別のFlatに引っ越したのがこの年の1月のこと。引っ越し先のFlatは前のフラットよりも更に深刻な問題がありました。オーナーがローンを支払えなくなったのか、差し押さえられたことを裁判所のレターから知ることになる。差し押さえって!何を差し押さえるの?と私の疑問は背中に水が走るものでした。そのフラット自体が差し押さえになることは勿論のこと、テナントとして入居している私達の私物までもが差し押さえられてしまうんです。悪徳オーナーで、私達に家を貸していることを公の機関に届け出ていなかったことから私達に居住の権利が無いことになってしまった。買い集めた英国アンティーク家具をどうしようかと思案に暮れた結果、日本へ輸送することにした。急遽過ぎて何処にも持って行くところが無かったんです。娘の学校と同じ学校にお嬢さんが在籍しており、同じビル内の最上階を所有していたオーナーが、購入したきり使用していない、このフラットに私立たちを住まわせてくださるとのことで再度引っ越すことになりました。私達が日本人で大変きれいに丁寧に住んでくれることを噂でご存知だったようです。そんなことから市場賃貸料金よりもお安くお借りすることが出来ました。それにしても英国のお金持ちは凄い。購入したきり使用せず数年が過ぎている。経済的余裕!!!
こんなに住み心地が良い家に一度住んでしまったら後が怖いかも?生活を上げることは簡単に受け入れられても、下げる事は非常に難しいはずだ。家はセレブリティーでも住んでいる私はセレブの世界とはかけ離れたところに自分のポジションがある。家と自分がちぐはぐながらもここでの生活を楽しんでいる。

ベランダで過ごす時間は特に時間を忘れさせる。夏でも湿気の無い爽やかな風が流れる英国は日本と同じように30度の気温があっても過ごしやすい。ホカホカと太陽の暖かさに感謝しつつ、優しい風が通り過ぎてゆく。青い空に雄大に飛行するのは渡り鳥のかもめ。かもめの飛び方と鳩の飛び方が違うことを知ることになるほど至近距離で彼らの飛行姿を見ることができる。鳥達の姿から更に目線をさげると地平線にあるのはコッツウオルズの丘。手前には伝統豊かな英国でも有名な女子高の校舎。現在はかもめの赤ちゃんがヒナにかえる時期で隣の屋根ではかもめの子育ての様子が観察できる。我が家の屋根にも子育て中のかもめが居るらしく、かもめの飛行姿を3メートルほどの近さで見ることになる。まっすぐに伸びた二本の足が体にぴったりとくっつき、胴体と一緒になる。左右に伸びた羽。私に突進してくるかのごとく見えてしまうこともあり、実物のかもめの大きさよりも更に大きく見えてしまう。我が家の屋根の上からもお隣の屋根の上からもかもめのヒナの鳴き声がする。生まれて2週間ともなるとよちよち歩きのかもめの赤ちゃんは鳩よりも大きくなる。感覚的醜いアヒルの子!と言った感じだ。かもめの子育てにも親の個性が光る。2羽のヒナを夫婦で協力し上手に育てているカップル。卵を産むのが一週間遅かったためか、あまりにも暑い日が続き、卵を生み温めたかいもなくヒナとしての姿を見ることができなかったカップル。2羽のヒナが居たにも関わらず、1週間後には1羽になっていたカップル。子どもが近寄るとさっと身を翻し、子どもから遠ざかるかもめは2羽居たこどもが1羽になってしまったご家族。見ていて子どもがかわいそうになってしまった。お母さん、お母さんと泣きながら近くまで行くのに、、、、もしかしたら、、、屋根と同じ保護色のヒナが体が白い親の近くに居たために天敵にやられてしまった経緯があるのだろうかと想像してみるが、お母さんに抱っこしてもらえない子どものようでかわいそうである。2羽が順調に育っているかもめのご家族が我が家のベランダから一番よく見えるところにある。彼らは暖炉の煙突を上手に利用している。屋根はなだらかな斜めになっているのですが、煙突があることによって、巣のつっかえ棒になる。煙突の上にお父さんかお母さんどちらかが必ず見張り番となって居る。この煙突の上に他のかもめがとまると威嚇して追い払う。両親のどちらかが見張り番と子守り役、餌を採りに行く役のと交代で行っている様子です。見ている私はここで余計な心配をしてしまう。餌を採りに行った出先で事故にでもあったら、、、、自然界で生きるかもめの母子家庭、父子家庭は大変だろうなぁー。餌の採取と外敵から守ることを片親でこなすことは大変だ。いやいや、人間の世界でも同じかもしれない???ここのかもめの親子は近寄る子供達に対して身を翻して逃げることなどしていない。ごく自然に動き回っている。時に両親で飛び方を子供達に見せていることもある。胴体ばかりが大きくて、おまけのようにある小さな羽根を広げているヒナの姿はやはり可愛い。片足をバレーリーナのように伸ばしたり、思わずニカニカと笑ってしまう。かもめの鳴き方も何種類かあって、、、、人間界とのお付き合いよりもかもめの方が近い存在となり、私は今、かもめかもしれない??!
羽をばたばたと上下に忙しそうに動かして飛ぶのは鳩。かもめを見ていると鳩は落ち着かない鳥に見えてくる。鳩の歩き方、かもめの飛び方、これには生物見地からなぜそうなっているかを娘から教えてもらった。そして、飛ぶことをテーマに娘と話しているとギリシャ神話の中に出てくる物語を聞かせてくれた。鳥に興味を持ったおかあちゃんに娘が枝葉を広げて見聞広めた話をしてくれる。幼児の頃の娘と母である私の役目が全くに逆転。いろんなことに対して、とうの昔に娘の方が博学だ。

ベランダからまっすぐに下を覗くと、グランドフロアーに住む方のお庭から猫ちゃんの真ん丸いお目めが上を向いて私を見つめている。この家の2匹の猫ちゃんとラブラドールのオールドドッグは私たちのことを認識しており、目線がご近所付き合いの仲。かもめや鳩、その他、何種類もの小さな鳥達、ご近所のペット、人間のお付き合いよりも鳥や動物たちとの心のふれあいが多くなってしまった。英国では珍しくないけれど、リスも私のお友達。(私が勝手に決めている。)体よりも大きそうな、ふさふさの尻尾はリスのチャームポイント。芝生や木々のあるお庭を越えて道路にも姿を見せる。ただし、道路での警戒度は100%。人の姿がみえなくても、音に敏感意反応する。音がするたびに動いては警戒のための静止の時間がある。今朝は日曜日のため普段でも人通りが少ない裏道が静まりかえる中リスの観察に心踊る思いでした。音に反応するおもちゃかと思ってしまったほどです。

街のセンターから1~2分の我が家ですが、コッツウオルズのひとつの町であり、緑も多く住環境としては最高です。日本で暮らしている時に私はこのように自然を見ていただろうか?

2006年06月

時は過ぎ、雨降り続きの9月下旬から10月。夏の暑さに焼かれ茶色になっていた芝生でしたが、緑のきれいな絨毯に生まれ変わりました。(英国は日本の芝と品種が違います。英国の芝は西洋芝と呼ばれ、年間通して緑であるはずなのですが、英国でも異常気象続きの夏でして、夏が非常な暑さのため近年は夏に茶色に変色しています。日本芝は暑さに強いですが、冬の寒い時期には茶色になります。)この緑の絨毯の上を飛び回るリス、小鳥達。私はリスさんが何処にどんぐりを埋めたのか知ってるよ!見つからなくて困ったら、私が住んでいるこの窓を覗いてね。教えてあげるから!などと思いながら、眺めている。
屋根の上での子育てが終了した渡り鳥のカモメ達の姿はすっかり見えなくなりました。屋根のスレートの隙間から緑色のコケが鮮やかに、屋根全体がグリーンに見えてきたこの頃です。この頃の激しい雨で、かもめの巣は洗い流され、来年、カモメがやってきた時には気持ちよく新たな巣作りが出来そうです。

2006年10月01日

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子どもの安全

あーきょうもまたインターネットニュースで見てしまった。弱者である子どもの事件、事故。多くのニュースに共通して言えること、、、、「幼き子ども周辺に大人の存在がない。」昔の日本は大家族でありながらも地域周辺の人々が子どもを見守っていた。よその子も我が子のように叱り飛ばすくらいのことは日常茶飯事のことであったろうと思う。このような環境は日本のどこにも現在は存在していないだろう。しかしながら、今もなお、子どものポジションは昔のままだ。これだけ事件が多発していても法規制の動きさえない。子どもがティーンエイジャーになる13歳くらいまでは大人の目の届くところで日常生活が送れるよう法規制があってもよいのではないだろうか?欧米の子ども達はこのような法規制によって守られています。13歳以下の子どもが一人で道を歩いている?13歳以下の子ども達だけで留守番をしている?もうここのところから疑問を持つべきです。保護者が保護者たる責任を果たすべく法規制が必要ではないだろうか?この法規制に対して今の日本では何が問題になるのか?これも同時に考える必要がありますね。子どもの保護よりも仕事が優先されている日本です。
日本の小学1年生の授業は給食を食べると帰宅となることが多い。これは子ども達の家庭に祖父母、もしくは母親が常時家に居ることが想定されているような時間割です。現在の学校の時間割にも問題があるように思う。また、子どもの通学の送迎に親が付き添いが出来るような雰囲気が職場に無く、社会全体が子どもを守る体制のシステムになっていないのも大きな要因です。社会全体で子どもの安全を見直す時期に来ている日本だと思います。
そして、どうしてこのような事件が多発しているのか?事件を引き起こしてしまった人たちの心の問題解明も大事なことだと思います。ここから我々が日常を過ごしている社会の改善を見つめ直したいものです。事件を起こしてしまった人たちは心のどこかでは何かの犠牲となっていることが多く、事件を起こすまでの精神状態がどうして引き起こされたのか知りたい。そして、私もあなたも誰もが犠牲者になることも加害者となることもあり得ると言うことです。
目先の安全対策ではなく、日本の今日までの当たり前をくつがえすところでの安全対策が必要だ!

英国の学校のセキュリティーについて書いてみました。こちらからご覧ください。

2006年05月28日

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笑いの絶えない家庭

娘の年齢が箸が転んでもおかしいと言われる年齢のせいだろうか?15歳の娘と二人っきりの生活なのに笑い転げる毎日だ!私はとても幸せな人生を授けてもらったと思わずにはいられない!
毎日沢山の事柄で笑っているから何をどうお話してよいやら迷ってしまう。この沢山の笑いを皆様にもお届けするべく、我が家に常時撮影カメラをセットしていただくのが良さそうだ。。。。
夜も寝ずに働きやっとこさ生活費と娘の授業料を捻出している私。10歳から母の仕事の片腕として仕事を行いながら、勉強をしなくてはならない娘。悲壮感満載で人生を送ってもこの二人の境遇からみると、それもお似合いのはず。でも、仕事は楽しい。娘との間柄と同じようにお客様とのやり取りが楽しいものになっている。娘はお勉強から逃げるどころか、仕事が忙しい分、お勉強に逃げ場を求めることになる。私達の人生は逆境が福と転じているように思う。
人間の心を見つめることをテーマに子育てしてきた。人の心の裏も表も見ようとしたときに、悪いことの裏には良いことがあるように、全て見方を変えるだけで、すべての捕らえ方が逆転する。自分にとって嬉しくない事でも、その事柄について相手の心の動きを想像した時に、以外と滑稽さや思い違いの慌てぶりなどが見え隠れし、相手がかわいいと言うような感覚でついつい笑ってしまう。
日常の些細な親子のやり取りでも常にこの心の作用が発揮されてしまうから、目で見える行動よりもそれがきっかけとなり、相手の心のかわいさが覗くところで、笑える。ヨチヨチ歩きの幼子が一生懸命に何かにトライするがなかなか上手く行かない。それを大人が見ていると子どもの純粋な一生懸命さがとてもかわいく思えることがあります。この感覚にも似ていると思います。相手の行動と心の作用を両方見てしまうと言葉では「かわいい!」という表現になり、あまりにもかわいくて笑っちゃう!これが我が家の日常生活です。
私がただ家の中を歩いているだけでも娘が笑うことがある。「今、その顔は・・を考えていたでしょう!」これがまた、魔法使いのようにドンぴしゃりと当たることが多いから驚きです。窓辺に立って物思いにふけっている私を見つけてはカメラを持ち出す娘、「すっごくかわいいから写真を撮る。」と言う。40歳過ぎた私がかわいいといってくれる娘は私からもかわいい。この時、娘は私が何を考え、思案していたか知っていたはず。二人でお話していても、心配事があったりするとついつい心がそちらの方向に向いてしまう、そんな時、「心はどこに行っているのかな~?」と無理やり心を引き戻される。
娘から私にそして祖父母に向けて「かわいい」と言う言葉が良く飛び出します。この言葉の裏には相手の心の内側も深く理解しているよと言うメッセージが含まれていることになります。
英国生活は本音とたてまえがはっきりとしており、これは見方を変えればマナーであり、相手を尊重した行動でもあります。子どもの純真さが時に相手を傷つけてしまうことがありますことを考えると、英国の人間関係は発達した高度のものと受け止めることも出来ますが、洞察力なくして生きることの出来ない世界でもあります。
もしも、笑いの無い毎日を過ごしている方がいらしたら、行動をきっかけにその裏に隠れている心の動きや作用を洞察してみてください。怒ってしまいそうな場面、泣いてしまいそうな場面でクスクスと笑いがこぼれてしまうかもしれませんよ。

2006年05月01日

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◆ハーブ・・バジル・・人間と植物の重なり合う思いやり

英国のスーパーではハーブ類が鉢植えで販売されています。新鮮で香りを逃がさないようにこのような販売形態になっているものと思います。私も香り豊かなバジルのスパティーを作ろうと思い、鉢植えのバジルを購入しました。さて、料理を始めようと思った私ですが、思わず止まってしまった。通常、葉を料理に使用した後はゴミ箱行きになるこの鉢植えのハーブですが、元気な根っこを持っているのに捨ててしまうのは何とも申し訳ない。生きているのに私の手で葬ってしまうようで、、、あー悪いものを買ってしまった!!ハーブの葉を茎を土を眺めて、さすって、突っついてみて、、、そしたらバジルさんが教えてくれた。茎に葉を2枚残してとってくれたなら、再度あなたに幸せをあげよう!あなたの思いやりと私の思いやりを交換しよう!と言いました。
それぞれの茎に葉を2枚残したバジルさんは五分刈りした男の子の髪の毛のようにすっきりとしてしまった。窓辺で日なったぼっこ状態で数日後、1枚の葉の根元から新芽を発見!一本のバジルに2枚の葉っぱ、2枚の葉っぱから2つの新芽、√2の法則で新芽が増えて行きます。
鉢植えの限られた栄養分の中で頑張っているバジルさんです。そして、少しでも栄養が取れるようにとバジルさんにはエビアンのお水を飲んでもらっています。私達はもっぱら水道からの水ですが。
そして、現在はバジルさんが2鉢。夜にエビアンのお水をコップに出して冷蔵庫の冷たさを取り除き、朝、土の様子を伺いながら水をあげる。葉や茎を触った私の手には爽やかなバジルの香り。時々つまみ食いもさせていただく。植物はペットとまるで同じですね。お世話したように成長するものだと思います。私とバジルの思いやりが重なって、お互いが心地よく生きていられる。どんな対象物とも思いやりの積み重ねでこの世の中は成り立ているはず。生きているものだけではない。机だって大切に使うことによって、長年便利なものとして役立ってくれる。
この単純な法則を難しくしているのは一体何なのか?思いやりを資本主義のお金に換算するからややこしくなる。

私のかわいいバジルちゃん達です。

もう一人ご紹介します。
娘が学校で二酸化炭素と葉緑素の実験に使った植物です。双葉が出たばかりの頃に我が家にやってきました。葉っぱが5枚ほどになった頃、お天気の良い日に、たまには外の空気も吸わせてあ

げようとベランダに出しました。知らない間に外に風が出てきておりまして、日向ぼっこしていた植物は倒れておりました。急いで起こしましたが、葉っぱが一枝折れてしまいました。
ワイングラスに小さなスイカンをのせ、そっとスイカンの穴に茎を入れました。葉っぱが楽な状態になるようこのような方法をとりました。するとどうでしょう、数日後、茎の先から白く尖ったものが見えるではありませんか。根っこです。今ではワイングラスの中一杯の根っことなりまして、葉緑素の生成も順調に行われているようです。葉っぱは鮮やかな緑色です。葉っぱさんにとってワイングラスとスイカンのベットは心地よかったのでしょうか。ここでも人間と植物の思いやりが重なりました。今ではスイカンのベットが無くてもワイングラスのふちだけで自分自身をしっかりと支えています。根っこが多くなってしまうとスイカンから抜け出すことが出来なくなってしまうことを危惧し、様子を見ながらスイカンを取り外しました。

2006年04月29日

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◆良薬の「たくあん」

自分では認識の無いまま、体は疲れて疲れて疲れ果て、突然、口の開閉が出来ないほどに顎の骨が痛み出し、背中には突き刺さるような痛みが出て来た。ここまで来てやっと過労気味の自分を発見する。何かに一生懸命になれる自分、体のことも忘れてしまうほどに取り組める何かがある自分、それは大変ありがたいことかもしれない。経済的余裕があったなら、もう少し体さんのことも気にかけてあげられるのに、、、、、ごめんね!精神的にも追い詰められるものがあるから、我武者羅に働いてしまうのかもしれない。こんな時、我が心と体をなだめようと、私の心と体が要求したもの・・・・それは・・・・「たくあん」だった!

涙か出るほど食べたいと思う欲求に、母に電話した。「たくあん」が食べたい。。。。母の電話の後ろで父が「ダメだ!ダメだ!」と言い張る。どんな事でも、何でも、一度はダメと言わなくては気がすまない父である。父が「たくあん」を英国に送れない理由はあやふやながらも、輸送途中にいたんでしまうからダメだと言っているらしい?

娘と考えた。。。お爺ちゃんの表の理由は分かったよ。。。。「たくあん」がいたんでしまうことを心配しているんだね。。。でも、ママ!本当にそう思う?お爺ちゃんのことだから、、、馬に人参のようにママに「たくあん」でクリスマスホリデーには必ず日本に帰って来いよ!って思っているかもね?そうだね。年寄りを苛立たせちゃいけないね。と半分諦めていた。

2日後、母から電話。「おじいちゃんがねェ。着色料無しの一番いいたくあん買って来たから明日送るね。」「自分でダメだダメだと言ってるくせに、郵便局に自分で出しに行くんだって!」父は非常に言葉と本当の心の中が行って来るほどに大きく違う人です。家族だからこそ、表面である言葉と本当の心の思いである優しさが読み取れる訳でして、一般的には偏屈なお爺ちゃんになってしまう人。

私は父を見て育ったせいか、人の言葉と心は違うところにあることが多く、人を見抜くにはどうしたら良いかをいつも考えていたかもしれない?人は人の心を理解しようとすると、相手の優しさが実に良く見えてくるものです。表面がどんなに好意的でなくても、本当の心はどの人も優しいのが人間ではないかと思います。そして、自分がオギャーと生まれてから今日まで一番付き合いの長い両親の心は声を聞いただけでも、電話の出方一つでも分かるようになってきた。分かるようになってくると、年寄りが実にかわいく思えてくる。年を取るごとにかわいくなって来る。我が心に自分の親がかわいいと思えるような時代が到来しようとは数年前まで想像もしていなかった。我が娘が赤ちゃんの頃にかわいいと思ったあの感情にも似た感覚でかわいいと思える今日この頃です。年寄りだから、耳は遠くなる、目は見えなくなる、体も不自由になる。歩けない幼子が一生懸命歩こうとしているように、年老いた父も母も思いやり一杯の心を持って一生懸命生きている。ありがとうの言葉よりも何よりも、かわいいと思う心で、何かやってあげたい、年寄りの心を大切にしなくちゃと思わされる。

電話の日から土日挟んで5日後に英国に「たくあん」到着。配達人から手渡されたちょっぴり匂う小包はEMS(国際エクスプレスメール)の封筒で届けられた。送料4600円?どうして「たくあん」がEMS??日本の両親に電話をすると早く届いたことに送った本人もビックリの様子。英国は郵便がいい加減だから、時に届かないことさえある。いつものように、いつものエコノミーの国際郵便で荷物を出して家に帰った父に郵便局から電話が入った。
「今、出した荷物の中味は漬けもんかい?」
「あーそうだよ。」
「そいいじゃー、いたまねぇーように、はいぇんで送った方がよかーねえーかい。」
「そうかい。そいじゃー、そうしてもらうべぇ。」
再度郵便局に出かけ、精算してきた父も些か小さい小包の割りにお高い送料だと思ったらしい。
冬の日本、日本から英国に飛ぶ飛行機は上空マイナス温度の世界、10年ぶりの大寒波を迎えている英国、、、多少遅くなってもたくあんさんは無事に届いたであろう?ただ、田舎の郵便局員さんの温かい心まで運んできてくれたEMSであったことには間違いが無い。

「たくあん」の香りに心安らぎ、たくあんをポリポリ噛んで顎が痛いと思いながらも、世界で一番美味しいものと思えた。その日の我が家の夕食はご飯に「たくあん」、娘はご飯に「白菜漬け」、これだけにした。体が休まる「アロマティックたくあん」の香りに包まれ、「たくあん」の歯ざわりが何ともいえない。白菜漬け党の娘はお醤油をほんの少したらして、白菜のお寿司作りに余念がない。充実の夕食であった。

翌朝、目覚めた私に奇跡がやって来た。顎の痛みが和らぎ、背中の痛みが無くなっているではありませんか!この「たくあん」の中に何が入っていたのかな?
それは、郵便局員さん含む、父と母の愛情が入り私にとって最高の良薬となりました。

2005年12月01日

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◆蜘蛛の命

湿気の少ない英国では毎日入浴をしない。しかし、今日はお風呂に入るぞ!と決めた日には2時間、3時間と体がふやふやになってしまうほどに長風呂になる。入浴時の必須アイテムは本、飲み物。本日も浴槽に寝そべりながら本を読んでいると、、、浴槽に来客あり、、見てみぬ振りしても真っ白な浴槽のふちを歩く小さな黒い点は否応無く目に入る。
蟻かと思いきや蜘蛛さんだ。
私も一人ぼっちじゃないな。
蜘蛛を御供に入浴三昧!
蜘蛛はツルツルの浴槽を上手に歩くものだなーーと思うと同時にあれれ・・・お湯の中に落ちた。

軽いから浮くかと思ったら、沈んで行く。
本を片手に蜘蛛の救助に大慌て。
今度は私がツルツルとすべる浴槽をのた打ち回る。
しかし、片手などでは小さすぎる蜘蛛を救えない。
両手が必要だ!蜘蛛が死ぬ!
両手でさえも上手くすくえない!
両の手でお湯ごとすくい、指の隙間から湯を落とす。
何度かトライの後、小指と薬指の隙間に隠れるように残った黒い点。
蚊よりも細く短い足は絡まっているのか、水分でくっついているのか、動かない。柔らかなタオルの上に乗せ、息を吹きかけてみるけれど動かない。三回転がして水分を取ろうとしたけれど、潰れてしまいそうなので、自然乾燥に任せることにした。

そこで、気が付いた。私が読んでいた本はびしょぬれだ。日本から持ってきた1600円の本が水も滴るいい本になっている。。。。読みながら1枚のページをひらひらさて乾燥させようとするが、、、、なかなか上手く行かない。本は乾けば読める。だが蜘蛛は乾いてもどうなるのかと思ったら悲しくなった。
2mmの体が湯の中に落ちた。
それだけでダメか?
いやいや、ショックで気絶しているだけだ。

2mmの体の蜘蛛、しかし、生きるものの命。
マレーシアの元首相マハティール氏は「米英のパイロットは居心地のいい安全な爆撃機から市民を標的にボタンを押し、殺した。地上にいた人と爆撃手、どちらがテロリストだろうか。」などと話しているそうだが、彼のその意見に私も賛成だ。マハティール氏は事あるごとに爆弾発言で世界政治の裏側を皮肉る。彼の言っていることは真実かもしれないと思うことが多々ある。
人間の命、蜘蛛の命、体の大きさと人間社会を中心に考えた時のポジションは違っても、やはり同じ命。それぞれの都合で、相手を何故お互いに殺しあうのか?蜘蛛は生きるために蜘蛛いずを張る。時に我々人間は彼らの狩猟の場を片手で破壊してしまう。蜘蛛の価値観と人間の価値観、生き方の違いが破壊を招く。
人間からどんなに破壊行為をされても、何度でも、自分の生活を邪魔されないようなところに、生活の糧を得るための糸を張る。このけなげさは人間が学ぶべきことの一つかもしれない。蜘蛛の糸が霜にさらされた後に太陽に照らされて、ダイヤモンドのように輝く芸術を見せてもらったことがある。彼らにとっては命に大きく関わる蜘蛛の巣。命が輝くかのように美しいものだった。
人間とは惨い生き物だ。蜘蛛の巣を片手で破壊し、蜘蛛を踏み潰す。
居心地のいい安全な爆撃機から市民を標的にボタンを押し、殺す。
動物の世界は弱肉強食の世界であるが、種の違う者同士の中での弱肉強食である。種の同じ人間同士の中で弱肉強食の動物の生態系を真似るのはどうも理解できない。人間の欲望を利用しての資本主義が人間同士の弱肉強食を煽っているのではないだろうか?

蜘蛛が動き出した!
生きていた!
この蜘蛛は、蜘蛛の水難救助から、私に上記のようなことを考えさせてくれた。そして、蜘蛛助けをしたことに自己満足をも感じさせてもくれた。2mmの体は偉大な力を持っている。

2005年9月15日

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◆飽食の田舎食生活

あー日本はいいなー。
食べ物が美味しい!
田舎はいいなー。
父や母のお味とぬくもりがあって!
やっぱり、私は日本人!
と思いながら、日本の食べ物の美味しさに太ることもお構い無しにムシャムシャと食べまくりの毎日です。
特に父や母との田舎生活は素晴らしい!
「10時よー!」とお呼びがかかったと思うと
「お昼よー!」と、、、、そしてすぐに
「お三時よー!」
「夕食よー!」
一日が食べることばかりであっという間に過ぎて行く。
80歳近い父も母も、娘や孫が帰ってくる夏には忙しい。
娘が帰ってくるから、孫が帰ってくるからとお庭のハーブをドライフラワーにして、春のお庭の様子を伝えてくれる母。
果物やお野菜を家庭菜園で栽培するのは父。
食事毎に食卓にのぼる野菜は父の畑の作品から、母が料理したものであり、
10時や3時のおやつは、桃、スイカ、とうもろこし、ブルーベリーと父の丹精込めたおやつたちです。
母の優しさ、父の思いやりに答えるように、私も娘もムシャムシャと食べる。
愛情に答えるのが苦しくなるほどにお腹が膨れてしまう。
溢れんばかりの愛情と溢れんばかりの食べ物に埋もれている我が身は、アフリカの飢餓が夢のことのように脳裏によぎってしまう。
地球は大きなアンバランスです。
輸送手段さえあれば飽食の国々から食料が地球上にバランスよく配分される?
しかし、資本主義の中でこの手段を見出すのは難しい?
以下は我が家のお庭で、お花以外の食べられる植物です。
ハーブ・・ナスターチューム、ローズマリ、ラベンダー、ハーブセロリetc
山椒、キューイフルーツ、さくらんぼ、栗、さごめ、ゆすらんめ、ぐみ、ふさなりスグリ、ブルーベリー、なつめ、ざくろ、桃、スイカ、ブルーベリー、いちじく、サンシュ、トマト、なす、きゅうり、アスパラガス、とうもろこし、いんげん、じゃがいも、さやえんどう、苺、らっきょ、にら、人参、ねぎ、あさつき、たまねぎ、にんいく、梅、プラム、こごめ、ふき、ウド、タラの芽、あおじそ、みつば、山百合、大根、白菜、ほうれん草、春菊、サトイモ、サツマイモ、サフラン、あけび、ピーマン、西洋赤ピーマン、赤唐辛子、花ふろう、プルーン、うりっぱ、パセリ、竹の子、ごぼうetc
昨日、家族でお茶しながら書き出してみました。

2005年08月19日

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◆さよなら パイパイおじさん

春になったら会えるよね。お名前聞かなくちゃね。
英国で子供達とパイパイおじさんの名前を想像していた。おじさんの名前のリストが出来た。

春休み、日本に帰り、小春日和の日、おじさんに今度こそは会えると信じて行った高田馬場。まず交番に行く。「パイパイおじさんは近頃どのあたりで見かけますか?」若いおまわりさんは答えました。「亡くなりましたよ。」。。えっ。。「病院でですか?」「いや、1月2月にはこの辺りに居ましたから。」「どこで亡くなったんですか?「答えられないんですよ。」「どうしてですか?」「路上でなくなった場合には事件として扱いますので、、」「それって何時ですか?」「ボクはその時の担当ではなかったので分かりません。」そんな、、、、、、交番の前で立ち尽くしてしまったけれど、、、どうしても納得できない。冬には入院していたはず。体調の良くない人を寒波の厳しい今年のような冬に外に出してしまったら、それだけで命が危なくなるはず。怒りにも似た悲しみがやってくる。調べなくちゃ、、、
次は区のリサイクルセンターだ。。。ここですぐに分かった。おじさんが亡くなったその朝に現場を見た職員が居た。「2月の一番寒さの厳しかった朝に・・・の駐車場で亡くなっていたんです。」「ああいう方たちは人に管理されるのがイヤで自分から病院を出てしまったのかもしれませんね。」。。。。そういうこともありえるのか。。。。けど。。。。おじさん自身は天国に行けて幸せだったのか?もう少しこの世で生きていたかったのか?どうなんだろう。。。。夏に会ったときに小指にある指輪が肉に埋もれていた、自分で故意にそうしたのか?ケガだったのか?誰かにやられたのか?その痛々しさが今でも思い出される。私が「おじさん!」と話しかけたときに「おじさんじゃない。お姉さんだったんだよ。」と答えた。今では市民権を得ている世界ですが、おじさんの時代は誰にも受け入れてもらえなかったのかもしれないね。おじさんとカップラーメンのグータを食べた時、おじさんは容器を道路に置き、洋服の上に麺を引きずりながら口に運んでいた。おじさん流の食べ方なのかと思ったけれど、洋服が汚れるよと思うのは、よくよく考えてみれば大きな問題ではない。時計の針の動き方も、世界観もおじさん特有のものがあったと思う。おじさんのその世界を何となく理解できるような気もする。でも、じっくりと話してみたかったよ。おねえさん!(おじさん)。
おじさんが亡くなった駐車場の事務所に行き、お世話になったお礼を伝えた。
英国に戻ってからも涙がこぼれて仕方ない。何もやってあげられないまま死んでしまった。
食べるものも、住む家も、着るものもいらない世界に行き、幸せにしているかな?でもね。私は涙ばっかりこぼれちゃうよ。頑張って生きてゆく仲間が居なくなってしまった気分だよ。
汚い服着て、臭いプンプンさせて、、、でも、本当の心は優しい人だった。だって、私の好意を受け入れてくれたし、私が手渡したものも食べてくれた。着るものを持っていっても貰ってくれた。「いいもん持っているととられる」とも言ってたね。暮れに着るものと食べ物持って行った時に「正月が来た。正月が来た。」って手を合わせてくれたね。もうたまらない、、、おじさん、、ありがとう。私の支えになってくれてありがとう。涙でグショグショだ。私達は日常の中で、時間に追われ、その国の当たり前に追われ、物事のものさしを一つの既成概念にしてしまっている。そこから少しでも逸脱することを恐れても居る。浮浪者、ひきこもり、など逸脱した世界と見られているところにこそ、本来の生き方があったりもする。私は彼に出会ってから世界の見方が大きく変わったと思う。私の心を救ってくれた大切な人です。
ご冥福を心より祈ります。

2005年04月29日

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パイパイおじさん、お見舞い申し上げます。

クリスマスホリデーの日本から帰り、「日本では如何お過ごしでしたか?」とご挨拶方々投げかけられる言葉の中に「パイパイ叔父さんとは今回も会えましたか?」と尋ねられるようになってしまった。私のせいでパイパイ叔父さんもちょっとした有名人にしてしまいました。ご本人がお聞きになったら、この現象をどう思われるでしょうか?ごめんなさい叔父さん!
しかし、今回の帰国は悲しいことがままありまして、、、その中にパイパイおじさんの姿が無いことが含まれています。
手馴れてきた叔父さん探しは、まず派出所でパイパイ叔父さんを最近多く見かける場所をお聞きすること。。しかし、その回答はここ二週間ほど姿を見ていないと言う。次は叔父さんがよくいる場所としてローソンの反対側の道路。お店の方にもパイパイ叔父さんで通じるようになっている。。しかし、その回答も2週間ほど見かけていないと言う。次に叔父さんがよくいる場所の駅の改札口近く。ここには工事の警備員さんが居ることが多い。警備の方にお聞きすると、彼の姿は最近見ないけれど杖だけは道端で見かける。ちょっと前まで天理教の駐車場で動けなくなっている叔父さんを見かけたと言う。天理教の事務所に行き、問い合わせると約2週間前に駐車場で動けない叔父さんを救急車に乗せて病院へ運んでもらったと言う。
ここからが、時間のかかる作業になってしまった。この周辺に出動の可能性がある救急隊は戸塚、大久保、新宿、牛込、落合の5箇所。どの消防署の方も親切に対応してくださったけれど、名前も年齢も分からないパイパイ叔父さんの行方は掴めなかった。
浮浪者の方がこのような形で入院した場合、お世話をするのは区の福祉課。福祉課でも調べてくださった。しかし、新宿区には同じようなケースがあまりにも多く、名前も年齢も分からない人を特定できないと言う。
会えないまま英国に戻りました。
何だか、私の守り神が居なくなってしまったみたいで、寂しくて、悲しくて、仕方ありません。
私にとって叔父さんは大切な心の守り神。
叔父さんが居なくなってしまったら、人生に打ち勝って行かなければならない私の顔からパイパイの笑顔が消えそうでめちゃくちゃ悲しくなってしまう。
春には会えることを期待したいと思います。
そして、失礼かと思いながら、会えたら、お名前をお聞きしようと思います。

2005年01月21日

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◆お母さん

私達が英国に戻る旅立ちの日。
いつものように、母は英国で頑張るよう激励の言葉を贈ってくれる。
しかし、車が走り出すと母はその車を追いかけて来る。
手を高く大きく振り、エンエンと泣きながら追いかけてくる。
ボロボロと涙を流しながら、子どもが母の後追いをするように、、、、
一瞬にして母が子どもになってしまう。
車が見えなくなるまで追いかけてくる。
76歳になる母の姿は本当にかわいくて、かわいくて、後ろ髪引かれる思いで、私たちの涙も誘う。
こんな旅立ちを年に3回、繰り返している。
母にとっては孫である娘が9歳にして英国留学に一人成田を飛び立った時の自分を思い出す。
追いかける母の気持ちも、旅立つ娘の気持ちもその両者の体験の狭間にいる自分を幸せ者だと噛締める。
異国での生活の困難や淋しさ、最も辛い別れる時の寂しさも、乗り越え、家族の愛と互いの前進のために消化して行く。
留学には、甘えを厳しさ乗り越える愛情に変化させる特性がある。
甘えだけでは脱落の道を辿るけれど、そこに厳しさを加えて行ったなら愛情になるのかとさえ思ってしまう。
お母さん、もうちょっと待っててね。
娘をひとり立ちさせてあげてから、戻ってくるからね。

「私はお花に命を戴いているんだと思うんだよ。咲いてくれてありがとう。と話しかけたら、今年も咲いてくれたよ。ありがたい。」
こんな口癖の母の趣味はお花。
ご近所では有名なお花好き。
お花のお世話をしすぎては、体調を崩してしまうことも良くある。
趣味のお花なんだから、そこまでしなくてもいいのに、、、、、と思うけれど、母にとっては母の心の命になっているらしい。
多くのお花が咲く春には母のガーデンを見物に県外からもお客様がやってくるようになってしまった。
お花を通じての人間関係からも豊かな老後を送っている。
お花たちが満開となるこの季節に私達は英国生活で見ることが出来ないのが本当に残念です。
ご近所の方がそんな私たちのためにカメラに収めてくださった写真をこのページに載せました。
どうぞ、母のガーデンをご覧下さい。

9月20日の敬老の日には「夫婦二人で100歳目指してファイト!」のカードと共に真っ赤なバラ100本の花束を贈った。
傍に居て上げられなくて申し訳ないと思いながらも、心通う家族であることに感謝している。
親は本当にありがたい。
本当は一緒に居て欲しいと叫びたいのに、自分のわがままよりも子どもの歩みを後押ししてくれる。
無償の愛ほど美しいものはない。
美しい愛情に支えられてるんだから、どんなことにも乗り越えられるだろうと思っている。

2004.09.20

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◆日本で待っててくれる人(パイパイおじさん)

年3回は娘の学校のホリデーに合わせて帰国する。イースターホリデー、サマーホリデー、クリスマスホリデー。海外で暮らす者にとって日本へ帰るに当たり、楽しみは人それぞれであろうと思います。
気心知れた日本人気質の中に戻れること、言葉に何不自由することなく生活できること、母さんのお味、日本食!誰よりも首を長く長く、すでにキリンさんになってしまっている年老いた両親。年に3回しか会えないけれど、英国で生活する我々親子を忘れないで居てくださる方々との楽しい再会。

そして、私達が日本に帰り、何時間も探さなくては会えない人も居る。時には彼に会うまでに3日間も捜索を要する時もある。今回は運良く探し始めて3時間後に会えた。この頃は捜索のコツも分かり、その日のうちに会える事が多くなった。彼が居そうな付近への聞き込み調査が上手く行くようになったのだ。叔父さんがいつも居るであろう、駅改札の前に居た警備員さん「最近は見ないねぇ。ここ2週間は見てないよ。ここは日当たりがいいから暑いんじゃない。」と言う。コンビニのレジ係は「そういえば居ますね。でもきょうは見てませんよ。」区のリサイクルセンターでも「いますね。あの方。今は何処に居るんでしょうねぇ。ご苦労様です。」ご苦労様と言われるようなことやってる訳じゃなくて、ただ、人を探しているんですけど、、、、。警察の派出所では「あー、最近はあのビルの向こうの方に居ることが多いよ。」今回は英国への帰国前日の成田のホテルに向かう途中の叔父さん探し。でも、良かった、これで生きていることだけは分かった。それだけでも分かれば、安心して英国に戻れる。叔父さん探して下駄の鼻緒が切れてしまった春休み、普段は英国の座敷豚生活で、叔父さん探しには足にすぐ豆が出来てしまう。早く出ておいでパイパイ叔父さん!

あまりの猛暑に喫茶店で一息ついて、捜索再開、数歩歩いて、、、反対側の歩道にパトカーと警察官の姿。何か事件?ヤダ!叔父さんじゃない。横断歩道の信号を待ちながら、警察官に囲まれている人物確認をする。どう見ても叔父さん、でも、どうして叔父さんが警察のお世話になっているの?信号が青になって駆け出しながら、倒れているのは誰?杖がある?頭にタオルのターバンが巻かれている?
駆け寄って、「叔父さん!どうしたのー?」
「あー、あー、おねさん」、、、叔父さん、ちゃんと私のこと覚えていたんだね。
3人の警察官は無言。
「どうしたんですか?」
「通報があってね。」
「何か悪いことでも?」
「いや、暑いから。」
「日射病で死ぬんじゃないかって通報があってね。」
それで、叔父さんの移動に3人の警察官がパトカーでお出ましになっている訳ね。私から警察官に何やかにやと尋問してしまった。お酒を飲んでしまっていて、私が差し出す杖を持つけれど立てない叔父さん。靴も履けない。この場面を道を通る人々は何と見ていただろうか?
飲んだくれて立てない浮浪者
3人の警察官
そこに叔母さんと娘が入って、叔父さんに「頑張って!」「ここは暑いから移動するよ!」、、、と話しかけ、警察官には「もっと大事にしてくださいよ。」と、、、おかしな事になって来た。そのうちに、、、警察官のベルトには拳銃はじめ沢山の小道具がぶら下がっているけれど、そのうちの一つである小さな四角い皮製のポケットから白いものを持ち出した。
「それ!何ですか?」
決まり悪そうにすぐに答えない警察官。ぐずぐずと出したり、引っ込めたりしている。見たところ、手術用の白い手袋?
「え!どうして?」
「病気持ってるからね。」
「カイエンとか?」
「そういう訳じゃないけど、いろいろね。」
「たとえば、胃が悪いとか?」
「そうね、いろいろね。」
私の質問にしどろもどろ答える警察官。結局のところ、汚い叔父さんを触るのに、手袋してるんでしょ!確かに意識して叔父さんから醸し出されるその場の空気を吸ってしまうと、目から涙、えずいてしまうのは事実だ。

長い間、叔父さんを立たせるのに時間を要したけれど上手く行かない、パトカーのトランクから緑色のシートを出して、それに乗せて日陰に運ぶことにした。手袋しててもいいけれど、人間を物のように扱わないで欲しい。何をされるのか?何処に運ばれるのか?不安な叔父さんは暴れてしまう。
叔父さんは警察官を信じていない。
どうしてシートに乗るのか?
これからシートに乗ってどうするのか?
叔父さんに説明する私が居て、叔父さんを乱暴に扱う警察官に「もっと大事にしてくださいよ。」と文句言ってる私が居て、、、
シートを持ち上げると暴れる叔父さんに警察官が怒鳴るけど、叔父さんは更に暴れる。
そこでも私が叔父さんを説得して、、、、
何だか、警察官に指図して、浮浪者の叔父さんを説得して、、、、
普段なら短い道のりを半日かけて移動したような気がした。
シートから叔父さんを放り出すと警察官は立ち去ってしまった。

移動の作業が済んでから、ちょっぴりリッチにユズドリンクを買って叔父さんのところに持って行った。
「叔父さん、まず冷たいものでも飲もう!」
と差し出すと、急に目をつぶり、両手のこぶしを胸に持って行き、斜めを向いてしまった。一瞬、あっけにとられてしまったが、叔父さんの可愛らしい心を見てしまった事に気が付いた。
「忘れてないよ。ちゃんと上げるから!」
この一言でご機嫌はすぐに快復。ドリンクもって、かわいくストローで飲んでいる。本当に叔父さんが欲しかったのはドリンクよりもランチを1回食べるほどのお金。警察官にとっては暴れる浮浪者に都合の良い叔母さんがお出ましだったのかもしれない。叔父さんにとって私は食べ物とお金をくれるおねえさん。それでもいい。私は叔父さんにもっともっと沢山のものをいただいている。年に3回お目にかかって、その場の食事とわずかなお金を渡すだけだけれど、叔父さんにとって私だけは裏切らない人でいてあげたいと思う。私達が日本へ帰るのを待っててくれる大切な人。叔父さんに会える事が日本へ帰る楽しみの一つになっていることに間違いはない。叔父さん、今回はハプニングがあった分、思い出深い再会になったね。また、冬に会おうね。
そう、そう、叔父さんに出会ってから今年で10年になるね。

2004年9月15日

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◆子どもへの虐待

ずーと昔にニュースで聴いた覚えがある。赤ちゃんが生まれたけれど、子どもの世話をしないお母さんクマ?の代わりに飼育係が育てているとか。
昔、藁葺屋根のお家だった頃、土間の天井のハリに毎年燕がやってきて、巣作りをする。そのうちにお母さん燕とお父さん燕が交代で卵を温める。ヒナが口ばしを大きく広げ餌を欲しがるようになると、お父さん燕もお母さん燕もそれはそれは忙しそうに餌を運んでくる。
親と子どもは、不思議な愛情とそこに繋がる責任で固く結ばれるはず、、、なのですが、時としてこの関係が正常に機能しなくなってしまうことがあるらしい。親として、自分の心のコントロールが出来るようになるのは大変なことでもあります。特に2歳前後のお子さんをお持ちのお母さんは、この事に誰もが気づいていることでしょう。子育ては、自分の心磨きの最高の手段だとも思えます。ただ、この事に挫けてしまう人があっても、おかしくはありません。挫けたままにしなければ、大丈夫です。
子どもに手を上げることをしなくても育てて行けるよう、言葉の発達を促すよう育てるのも一つの方法です。そこからは、親子で話し合いながら生活して行くことが出来るからです。当時は私も話し合える子ども、話せば分かってくれる子に育ててきたつもりです。しかし、6歳前後のときに思わず、頭を叩いてしまった。今思えば、子どもを叩いてよい理由など何処にも無く、自分自身の心の不安定を子どもにぶつけただけだなと思う。それが、娘は今になっても、私が叩いてしまったこの時のことを鮮明に覚えている。普段手を上げることの無い親が叩いたのですから、子どもとしては、叩かれた実際の痛みよりも心の傷が残ったのだと思います。私も叩いてすぐに深い後悔の念に襲われ、この時のことを時間が止まったかのように鮮明に覚えている。あれから7年経った現在でもあの時のことが親子で話題になります。自分の心をコントロールできなかった母親であったことを娘には素直に謝ります。時間がたった現在、私の育児の失態の穴埋めをするかのように、このようなことが親子の話題として出てくるのは本当に良いことだと思っています。子どもの心の傷に手当てして上げられる機会を与えられているのですから。子育ては紆余曲折です。100%完璧な子育てなど出来ません。
どんな小さなことでも、子ども自身が自分の心の傷を見つけ、親に話せる状態を作っておくことです。
親にとってバツが悪い話を子どもが話してくれた時、親が素直に自分の本当の心を子どもに話して上げたなら、子どもはそれ以上に素直に何でも話してくれる子になると思います。

親としての本能が出せなくなった時、自分だけで悩まないで誰かに話しましょう。
私はおしゃべりが好きな性格で、ストレスは話すことによって大分解消してしまいます。
ニュースに幼児虐待の文字が載るたびに、子育てをしている人、誰一人他人事と思ってはいけないと思います。
私が娘の頭を叩いたのも、ニュースになってしまった虐待も、親の心の不安定さからです。
真剣に自分が危ないと思ったら電話しましょう!


関東の方面の方:http://www.ccap.or.jp/
関西の方面の方:http://www.apca.jp/


虐待には大きく分けて4つあります。
身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト(最低限の保護の拒否)
私が娘の頭を叩いたのは身体的虐待に入ってしまいますが、それよりも心理的虐待の方が大きかったでしょう。子どもが言葉を理解するようになると、言葉で心理的虐待になってしまいそうなほどお小言を言ってしまうこともありますね。虐待は大きくても小さくても、子どもの心を不安定にさせる最高の手段となってしまいます。子どもが安心できるような教育方法を基本的に考えたなら、毎日の生活の中でもっと良い親子コミュニケーション方法が見つかるかもしれませんね。お母さんもお父さんも、昔は我がこと同じ子どもだったのですから、自分が子どもだったならといつでも考えてみてくださいね。
私は、この考えの度が過ぎたのか、最近は娘が母で私が子ども、娘の温かな心に支えられて生きてます。

2004年07月01日

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 ◆きらびやかなクリスマスシーズン

日本でも、英国でも、街にクリスマスソングが鳴り響く季節の到来です。
街にも家庭にもショーウインドーにもクリスマスデコレーションが輝き、クリスマスショッピングの人々で賑わっています。

英国の人々のクリスマスは、昔の日本のお正月のように、親戚縁者が集まってのホームパーティーがメインとなります。この季節の海外旅行などは、お安くなってしまうほどに、家庭で過ごすことが定番のようです。クリスマスカード、クリスマスショッピング、クリスマスデコレーション、クリスマスプレゼント、クリスマスパーティーこれらを家族を中心に行うことが英国のクリスマスだとしたら、これらに縁の無い人にとっては、人々の歓声や笑い声を外にマッチ売りの少女のような心で、クリスマスを迎える人もいらっしゃるのではないかと思います。

毎年感じることですが、私にとってのクリスマスは、世間があまりにも賑やか過ぎて、何故か寂しくなってしまう季節でもあります。人々の心が浮き足立ったようなこの季節に、あなたはいかがお過ごしですか?マッチ売りの少女のような心の方がいらしたら、、、、Contact usよりMailを下さいな!
ご住所とお名前をご記入いただければイギリスよりクリスマスカードをお送りさせていただきます。

本来ならば、馬小屋の片隅で、心穏やかな中に、この世の平和を見つめるべく心境で、迎えたいクリスマスです。クリスマスは幸せの象徴的イメージと賑わいと、この世の不憫(イラク戦争をはじめ、世の中の不合理のしわ寄せによって、苦しんでいる人々)とが、あまりにも対照的に見えてしまい、涙がこぼれそうになる季節です。

2003年12月14日

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◆知るための仕事ぶりがスリリングな英国

知ることは大切なことであり、どんなことでもまず知ることから対処して行かなければならない。そして、私たちの知りたいという意欲を満たしてくれる商売がマスコミ関係ということにもなるでしょうか。
英国での最近の出来事に、このマスコミ関係者の勇気ある、知るための仕事ぶりがありました。

人種差別が少なくなったかのような英国ですが、今なお、公平であるべき警察官の差別意識は消え去ることがないらしい。この現実を踏まえ、BBCテレビのスタッフが警察官試験を受け、見事合格の後、新人警官の訓練所で、警察官の卵たちがこの人種差別をどう捕らえているかと言う問題に焦点を当て、お忍び取材をした。結果は悲しきかな、人種差別意識をありありと表現してしまったところをカメラもマイクも捕らえていた。また、この現場はテレビで放映され、非のある発言をしてしまった警察官の卵ちゃんは警察官になれずの結果となり、取材のため不正に忍び込んだ取材者は、国民から警察への非難の声が大きくなってしまったため、罰せられることも無く、一件落着。

次なるは、英国の大衆紙デイリー・ミラーの記者によるバッキンガム宮殿へ給仕役として就職してのお忍び取材です。宮殿内部の様子はデイリー・ミラーの記事となりました。ブッシュ大統領が英国を訪問した際の滞在場所となったバッキンガム宮殿の警備のずさんさを知るため、ブッシュ大統領来英の2ヶ月前に行ったお忍び取材でありましたが、英王室側は守秘義務違反で訴訟を起こす方針です。

共にお忍びでの取材ではありますが、ややもすると取材者自信が法を犯すことにもなる内容です。
知ることから現実を見直そう!この意識の方が、国民感情的にも優先される英国。このとっぴもないお忍び取材は意義のあったことだと思います。良い、悪いが暗黙のうちに一元化された固定観念的日本とついつい比較してしまいます。人間が作り上げた法を恐れず、本当は何か!を知る意欲を持って生きてみたいものです。

2003年11月25日

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◆パイパイおじさん

パイパイおじさん、今頃どうしているかなぁー。
苛められたりしていないかな?
寒くなってきたけどジャンパーをどこかで見つけたかな?
私たちがUKに来る前まで住んでいた高田馬場の笑顔の天使、パイパイおじさん。

幼稚園受験の年齢の娘の手を引いて歩く線路沿いの道。毎朝、高田馬場駅に向かう途中、パイパイおじさんに出会う。パイパイおじさんは高田馬場駅周辺に住んでいる一般的に言うなら浮浪者のおじさん。ボロボロの洋服を着て、両手に包帯を巻いて、足が悪いのか、両手に杖を持ち、私たちに出会うと立ち止まり「パイパイ」と右手を上げて、開いたり閉じたりする。最初「Bye bye」と言っているのかと思ったけれど、良く聞いてみると、「Pai pai」と言っている。私たち親子も「おはようございます。」と返事をする。子どもが好きなのか?物乞いのアピールなのか?彼にとって、このアピールは何を意味しているのか?考えてしまったのは2~3日だけ。おじさんの満面の笑顔は、その考えの全てを忘れさせた。毎日、おじさんに同じ時間帯に、同じところで出会うようになると、出会わなかった日には心配になって仕方なくなってしまう。

ある日、おじさんの笑顔を見ていたら、涙が止まらなくなってきた。着るもの・・・・暑さ寒さが多少防げる最低限以下のもの着て、時には、誰かの悪戯で、裸にされ、町の道路に放り出され、勿論、家も無く、食べ物だって不自由しているだろう。にもかかわらず、この満面の笑顔は、どこから持って来るの?おじさんが笑顔になれるんだよ、私がこんな心で、こんな顔していてどうするんだ!当時の私の心を最大の効果で、支えてくれたのはパイパイおじさんの満面の笑顔であったと思います。

小さな娘のために、バックの中にいつも水筒の飲み物と、小さなおにぎりを入れていたのですが、ある日から、おじさんの分の食べ物も持ち歩くようになっていた。クリスマスイブの午後、娘と二人なのにラウンドのクリスマスケーキを購入。元々、ケーキは好きでは無い親子ですが、ある意味、クリスマスが寂しくないように購入したケーキ。誰か食べるのを手伝ってくれる人が居たらいいね。娘がパイパイおじさんは?と言う。確かにそうだね!って、ケーキを半分こにして、鳥のから揚げやら、なにやらも一緒に持って、パイパイおじさん探しに娘と出かけました。温かいものが冷めないように、急いであちらこちらと探すのですが、この日ばかりは夕方になっても見つからない。おじさんが見つからないまま、歩き疲れて家に帰ったのが、ついこの間のよな気がしてなりません。どうやら、この日はボランティアにより浮浪者の方々に御飯が振舞われたらしい。おじさんもそこに行っていたのかな?と思う。

当時、私の心も若く、未熟がゆえに、自分の人生上に置かれた苦悩を引きずり歩いていた。人生で一番に苦しい時代だったかもしれない。娘のために一生懸命生きていたことには間違いありませんが、これからの人生にも、現実の生活にも不安度の非常に高い日々でした。おじさんの笑顔に出会えたから、今の私があると思っています。

英国で暮らすようになってからも、高田馬場でおじさんに出会うと、娘が近くのドトールやコンビニに走る。おじさん、年寄りだから飲み物はあったかいものがいいかなぁー?おじさんはサンドイッチや飲み物を「あんがとう、あんがとう。」と言って貰ってくれる。おじさんが道端の壁にもたれて食べている間、娘が「おじさんねぇ。私のこと覚えている?今、なかなか会わないけど、私たちはイギリスで暮らしているんだ。おじさんが元気で良かった。・・・・・」娘が話しているのをうなずきながら聞いているけれど、おじさんの話し言葉を今までに聞いたのは「パイパイ」と「あんがとう。」だけ、言葉が無い理由は分からない。本当は普通に話せるのかもしれない。

家も無く、食べるものも十分になく、着るものもない、浮浪者のおじさんに私は心を助けられ、今日の私がある。親元を離れ、東京に上京したそのときから、頑張らなくちゃ!、私も何時かは浮浪者!そんな思いを抱いていた私です。心のあり方、価値観で人間を見た時に、地位や名誉に群がっている人たちよりも、何も無さそうな、浮浪者の方が神様からのお点が高いかもしれない。

今でも、おじさんの10年前の満面の笑顔を思い浮かべると涙がこぼれて仕方ない。

2003年11月17日

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カルチャーその2

晴天が続く英国は、本日も29度と真夏日和。ナショナルトラストのひとつ、Stourheadへピクニックに出かけました。お引越しで不要となるものをスターヘッドのボランティアガーデナーとして働くお料理上手な日本人女性に持って行きながら、彼女の手料理でピクニックに行くことになりました。日本の夏を思わせるほどの暑さにも関わらず、緑多い木陰の環境は最高に快適です。日本食に舌鼓を打ちながら、自然の中に身を託し、優しく漂う風に撫でられながら、モノポリのゲームで楽しむ私達。いつもながら、多くの人が回りに居ながらにして、静けさを感じる英国です。日本でなら、がやがやとした落ち着かない感覚が生まれるであろう人々の中でも、何処となく静けさを感じさせる。英国は静かな国です。お隣のご両親とお嬢さんの3人のグループは簡単な手作りサンドイッチで食事を済ませ、言葉も少なく、自然の中の自分たちを楽しんでいる。無言は時としてシラケ鳥が飛んでしまう日本とは違う。無言でもその空間を感じ、楽しむ術を彼らは持っているのではないかと思われる。小さな子供連れでも、きゃっきゃっと騒いでなどいない。赤ちゃんの頃から静かな空間を感じ、見ることができる英国人に育てられているのだろうか?多くの人が居る中で、のんびりと静かな空間です。時として、時間が止まっているかのようにも感じます。
そんな静けさの中、洋服を脱ぎ始める若い男性2人と女性1人のグループが・・・・・
女性はどうやらビキニを着ているようですが、男性達はどう見ても、下着としてのパンティーです。あららと思ううちに、スターヘッドの湖に入り、泳いで島に行ってしまった。珍しい行動には間違いないのですが、周りの人たちの目線は彼らに集中しているものの、見て見ぬふりの感あり。それどころか、カメラを持っている私たちに対して、彼らは大サービスしてくれた!!女性がビキニのパンティーを下ろし、お尻丸見えでポーズ!!びっくりの私はシャッターチャンスを逃してしまった!それでも、周りの人たちは、、、、、静かなまま。見ているのだろうけれど、ざわめく様子もない。
どんな時にも、平常心を保とうとする英国人。平常心を保つことが行動美とされているように見える。
2003年7月13日

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カルチャー

ミレニアムのクリスマスに初めて英国を訪れた時の私は、子どもの留学を考慮に入れながらも、観光客としてであった。
見る風景、言葉、生活様式、全てが目新しく、何にトライしても初心者マークがついているようなもの。
地下鉄に乗るのも、切符を購入するのも、良く分からない。失敗は当たり前、スムーズにできたら上出来。そんな慣れない国から徐々に住み慣れ、3年経った今頃になって、本当の意味でのカルチャーの違いがやっと理解できてきたような気がする。
Culture=教養; 洗練; 修養; 文化; 耕作, 栽培; 飼育; 培養。
辞書で調べるとこんな単語が出てくる。
ようは考え方の違い、国が違えば個人を差し置いて、大まかなところで、よしとする価値観や考え方が違ってくるものです。島国で皇室を持つ国。、何処となく似ているかのように思える日本と英国ですが、憤慨の仕方に大きな違いを感じました。
さすが紳士の国、道歩く犬のお行儀の良さにも驚かされますが、その犬達を支配する人間は、心とは離れたところに紳士的マナーの行動力を持っていることに気づかされます。
喧嘩は大声を張り上げて、自分の思いのたけを相手にぶつける様を思い浮かべる私は日本人です。
自分を理解してもらおうと思う気持ちが言葉や言動に語勢を増す形で出てきます。
しかし、これらの様子は見方によっては、癇癪になってしまう。
英国では受け入れられない・・・というよりも、問題の原因が何処にあろうとも癇癪を起こした方が負けの感もある。暴力はもってのほかであり、暴力を振るった方が、原因は何処にあっても、悪くなるのと同じように、怒りをぶちまけるだけも同じこととして取られる。
リベート方式で、辛抱強く、紳士的に振る舞い通せた方の勝ちとなる感がある。
よくよく聞いていると、悪いと100%分かりきっているようなことでも、自分が悪いとは言わない。
たんたんと言い訳がましいことで、相手を納得させようとする場面にも遭遇する。
そんな時は、やはり紳士的にリベート方式で、相手を納得させられる方が勝ちになるのかな??
2003年7月10日

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人生のパートナー

春休み以後、ホームページの更新をご無沙汰してしまいました。
娘の学校が新しく決まり、ホッとしているのか、ボーーとしているのか、自分に目標がなくなってしまったのか、ちょっと自分自身がブランクの春から初夏に掛けての数ヶ月でした。
子育ての基本は3歳までと力入れて、11歳まではマネージャー的役割の母親で、12歳そしてもうすぐ13歳になる。マネージャーというほどに母親が必要なくなって来ている様子、しかしながら、子どもにとって心の支え部分では大きな役割が残ってもいる感じです。ティーンエイジャー・・・この言葉は今の私には重く現実みたっぷりに感じられます。この年齢を境に子どもの自立度はグンと伸び、今までの母と子どもの関係からステップアップが必要のようです。この寂しさを何処に持ってゆこうかと考えるとやはり、人生のパートナーに帰依するところがあると思います。私はすでにこのパートナーがおりませんので、心の持って行き場に困ってしまいます。子育て途中で、母親は子ども中心になり、父親は仕事中心の生活になり、夫婦としての危機を迎える多くのカップルがいると思いますが、やはり、私の今の立場になってずっしりと感じる人生のパートナーの大切さです。皆さんはこんな寂しさを感じないように・・・と願っていますよ!!2003年6月21日

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安心と穏やかな不思議空間ータイムトラベル?

イギリスの我が家のキッチンで日本のお米のオジヤ(卵のおかゆ)を作っていた。
お鍋のご飯をかき混ぜながら、私はほんの一時、タイムトラベルしていたようです。
オジヤを作りながら涙が止まらなくなってきた。
トラベル先は、私が幼稚園前の小さな頃、忙しい母に代わって私の世話を見てくれた祖母はもう10年以上前に天に召してしまったけれど、その祖母と二人、家を建て替える前の古い家のキッチンで、祖母が私のために作ってくれるオジヤが出来るのを、土間から一段上がった床のキッチンスペースで祖母の手元をずーと見ながら、祖母とおしゃべいしている自分と、祖母とその当時のキッチンの風景が思い出されてくる。
あそこに鏡があって、ここには油こしがかかっていて、重い木の引き戸を開けるとそこには一升瓶や
梅などの漬物ビンがあったことまで鮮明に思い出す。
異国の地、イギリスに居ながらにして、群馬の田舎の懐かしい空間に自分が居る。
残りの冷ご飯をクツクツとおしゃもじでかき混ぜながらトロトロニなるまで煮込んで、最後に卵とお醤油で香り付けしたシンプルなオジヤが大好きだった私。
祖母と過ごした、なんでもない極平凡なこの空間は、安心の上に築かれた最高の幸せ空間だったのかもしれない。
私だけかもしれないけれど、タイムトラベルで過去の空間にすっぽりと入れるのは、何故か、おとぎ話にでも出てくるような穏やかさと安心感のあった空間です。
娘と日常過ごす中、娘が大人になって、タイムトラベルできるような安心と穏やかな空間が与えられる母でありたいなと願う。
天国のおばあちゃんが、時々私のところに遊びに来てくれてるのかもね?
   2002年12月8日

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◆家族ってカッコいい!!

「マイケル・オーウェン、ついに「パパ」に! ガールフレンドは妊娠4ヵ月 」こんな見出しで、リバプール・チームの花形ストライカー、マイケル・オーウェン選手(22)初めて「父親」となることが各メディアで
伝えられました。
記事の締め括りは
さらに、子供が生まれることで、オーウェン選手のスーパースターとしてのイメージは、すでに2人の子供を持つデイヴィッド・ベッカム選手夫妻と同様、確固たるものになると見られている。

英国は家族を大事にする国と言われていますが、こんなところでもその様子を伺い知ることができます。
仲の良い夫婦があり、そこに愛の賜物として授かる子供があり、幸せな家族がある。
地球上の家族が穏やかな平和な、幸せな家族に全てがなれたなら、地球全体が平和なんだろうな。
地球は小さな家族の集合体で構成されているのだから。

素晴らしい男と女がいて、素晴らしい愛が生まれ、そこに愛の賜物として授かる子供があって、素晴らしい家庭が築かれる。
日本的感覚なら素晴らしい男と女がいて、素晴らしい愛が生まれくらいまでが、賞賛される対象ではなかろうか?
日本的に見ると、子供を持つことはカッコいいことになるだろうかと・・・・・この記事を見ながら考えてしまいました。
昔の日本の大女優は子供が居ることを隠していたくらいですから・・・・。

家族ってカッコいいことなんだよなーーーと思いました。
2002年11月20日

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英国のバースデープレゼントと動物愛護

娘のクラスメイトはバースデープレゼントに日本では考えられないようなものをプレゼントされている。
プレップスクールで親友だったポピーは、両親から羊をプレゼトしてもらい。
彼女の家のフィールドにはポピーの羊がのどかに草を食べている。しかし、彼女の家は農場ではない、にもかかわらず広大なフィールドを持っている。
そして本日、レターが来た友達は何とバースデーに馬をプレゼントしてもらったとか。
日本的に考えるとこれらペットとはいえない大型動物の家畜が子供たちにプレゼントされている現実をどう捉えたら良いのだろうか?
プライベートSchoolは全寮制が多いので、普段の動物の世話は必然的に家族の手によってされることになりますが、いまだに理解しがたい私なのです。

UKは動物愛護の考え方が浸透している国。
最近の話題からいくつかを紹介してみます。

①2004年あたりに議会で審議される草案として
「12歳未満か、16歳未満の子供が保護者の同伴なしにペットを購入することを禁止する。」
この草案はペットの虐待や、怠慢を防止し、人々にペットの権利を意識させることを意図しているようですが、子供たちは金魚1匹たりとも保護者なしでは購入できなくなります。

②動物の権利保護団体PETA(People for the Ethical Treatment of Animals)の毛皮のコート反対キャンペーンにショッキングなポスターが登場しました。
人気歌手ソフィー・エリス=ベクスターさんが毛皮を剥がされた本物のキツネの死体を片手で持ち上げているショッキングな写真。
キャッチフレーズが「これはあなたの毛皮のコートの残りです(Here's the rest of your fur coat.)」

③英国伝統のキツネ狩りも禁止となり、農場経営者にとっては害獣といえるキツネ狩り禁止を見送るよう訴えた懇願書を提出されている。
7月10日にはロンドンのハイド・パークからウェストミンスターにかけて、「キツネ狩り」の禁止に反対する人々80人が、キツネ狩りのいでたちで馬に乗りデモ行進を行った模様。
2002年11月14日

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イギリスの奥様が方の会話から人種差別・・・

あなたのご主人はイギリスの中でもどちら?の質問が投げかけられた。
ウエールズ、スコットランド、イングランド、アイルランド?
どうして?と私にはこの意味が分からない。
イングランド人以外は差別対象だとか。
ユニオンジャックの英国の国旗はスコットランド、イングランド、アイルランドの国旗の柄が合体したものなのに。(その時、すでにウエールズはイングランドとなっていたため、国旗の柄には参加できなかった様子です。)
じゃ、主人のいない私はどうすればいいのーーーー!
英国内でも人種差別があることに驚きでした。
性格に合う合わないがあっても仕方ない、しかしながら人種や国で人間を差別するのはいただけない。
この差別はどこからやってくるのか?
戦争で勝利を治めた国民が崇められ、負けた国の国民が蔑(さげす)まされる。

日本もかつて軍国主義だった時代あった。日本は植民地政策をとって近隣の国を武力で植民地化していった。ほんの短い期間。
そしてかつては経済大国であった時代もあった。これもほんの短い期間。
短い期間であってもかつての栄光と尊敬はその国民に残される。
これは海外に出て初めて実感しました。

結果的に勝利を治めた国は言葉や文化を自国のものに洗脳して行く。
勝ったものが全て正しいと。
その国の考えが全て正しいと。
思わされる。
そんな思わされるところから人種差別が生まれてくるような気がする。
人種差別的考えを持った人間は、自分の考えを持てないに違いない。
2002年11月13日

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戦争で負けたことが無い国・地震が無い国の建物・・・英国の建物から垣間見る世界経済

英国はロンドンの大火で歴史的建造物が失われているものの、ドイツはフランクフルト、日本は東京などとは比べ物にならないほどに、世界戦争での損傷も少ない。歴史的建造物が残っている英国。古いものを維持していく補修に手間や経費がかかるものの、地震国日本と比べたら基本的部分での傷みは少なくてすみそうです。
築・・百年の建物は珍しくなく、歴史が重ねられたそれらの建物は競売にかけられても高値が付く。
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競売で思わぬ「儲け」!? 150万ポンドの大邸宅に1,250ポンドの付け値 
9世紀に建てられた大邸宅を所有する親子が、この邸宅をインターネット上で競売にかけたところ、最初の売値の10倍もの額を申し出てきた者があり、この親子を驚愕させたことが伝えられた。
ロバート・グッドゥンさんとマイケル・グッドゥンさん親子は、ドーセット州シャーボーン近郊にある、50部屋もある大邸宅コンプトン・ハウスを、アメリカのウェブサイトEbay で150万ポンド(約2億7,000万円)
から競売にかけた。すると、わずか10日の間に10万件以上もの問い合わせがあり、中には真剣に購入を申し出る者も何人かいたという。
しかし、グッドゥンさん親子が注目したのは、締め切り間際にあるアメリカ人が付けた、最初の値の10倍近い1,250万ポンド(約22億5,000万円)もの買値であったという。 息子のマイケルさんは「競売終了間際にこんな高値がつくなんて信じられない」と興奮した様子で、「一度話をして、もしこの買い手が本気なら、さっそく売買手続きを始めたい」と語っている。
敷地面積5ヘクタールにも及ぶこの大邸宅コンプトン・ハウスは馬小屋付きの、ドゥームズデー・ブック(※)にも掲載されている由緒ある建物で、1736年から代々グッドゥン家が所有してきたという。 
※ドゥームズデー・ブック:ノルマンコンケストのウィリアム1世(ウィリアム征服王)が、
1086年に作らせた英国最初の土地台帳。ラテン語で書かれている。11/4 UKTodeyより 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんな記事も珍しくない。
ただ、この記事のドーセット州シャーボーンは私たち親子が住んでいる町、このようなNewsでさらにカウンシルTAXが値上がりしなければよいがと心配してしまう。
それにしてもアメリカは経済的は勢いが良さそうです。IMD発表の国際競争力ではUSAが1位です。2位フィンランド、3位ルクセンブルグ、日本は30位、韓国が29位、中国が31位だそうです。
日本はODAだの難民救済どころではなくなってきているのでは?。
今年の夏、「ODAとマレーシア」の論文を書くために現地視察にマレーシアを訪ね、日本のODA関係の施設ににも訪問いたしましたが、どうも、その国の手助けになっているのかが疑わしくさえ思えてしまったところもあります。ODAについては後ほどまとめてUPします。
2002年11月9日

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一人で悩まずMail下さい。

Newsを見るたびに目に飛び込んでくる子供の死。それも保護者であるべき人の手によって死に至らせるケースが多い。被害者となる子供はもとより、加害者となる大人の心理状況も被害者的検知から見る必要があるのだろうと思う。表面的には「片親で余裕が無い。」「内縁の夫や妻。」「両親揃っていても心のはけ口が身近で無抵抗の子供に向けられる。」でも、もっと複雑な心情があることでしょう。そんな心が芽生えることは、誰もが予期せぬ病気にかかるのと同じことなのかもしれない。世界の難民の子供たちを守ろう!と声高々に訴えるのと同じように、隣近所、身近な子供たちにも、その子供たちにかかわる人間たちにも目を向けられるような世の中であることを願わずにはいられません。。お節介かもしれないけれど、子供に向ける目がおかしいなと思った時があったら私にMail下さい。Mailを書ける気力のあるうちに絶対ください。一緒に悩んでみましょう!あなただって子供のときがあったのですから、子供をたたけば、あなただって同じように心が痛いはずです。2002年11月04日
Mail待ってますよ。Petiteママへのレターはここをクリック

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ショッキングなニュース・・・自分の心だけでは受け止めてられなくて友達にMailを書いた!


私は今朝、悪いものを見てしまった。
下のニュース。
何やってても、このことが気になって、涙が出て、もーたまらない。
一歩間違えば、いや半歩間違えば、私だったかもしれない。と思ったりして。
こんなことがあっていいのかい。
後進国でもなく、難民指定国でもないのに。
この子は何のために生まれてきたんだい?
あまりにもかわいそうすぎて、この子の死をこのままにしておきたくないね。
生きてる私達に何かを教えてくれるために、きっとこの地球上に神様が送ってきたんだよ。
お母さんは物乞いしたって、ごみをあさったって、この子に何故、食べさせなかったんだ?
役所に相談に行かなかったのか?
行けない理由はどこから発生したのか?
いっそのこと万引きしたっていいじゃないか!!!死ぬなよ。
自分から発動しなければ、今の世の中、誰もこんなことに気が付いてくれない。
どうして・・・
しかし、母親ばかりはせめられないよ。
子どもは非力な弱い存在、ただ、大人たりとも非力状態に押し込まれてしまうことだってある。
じゃ、どうしてそんなことになったんだ!!!
子どももかわいそうなら、母もかわいそうだ。
経済状況の回復がなかなか進まない日本ではあっても、他の国から比べたら最低限の生活レベルは高い日本で子どもの餓死はニュースでよく見かけてしまう。
どうして????
この子は生まれてから、嬉しいと思ったことや、お腹から笑ったことがあったのかえ
もーーたまらない。
国際的問題としてテロ、拉致・・・あるけれど、
ニュースとしては小さく、他のニュースにかき消されてしまうようなことなのかもしれない。
ただ、私には他のどんなニュースよりも、身近で、大きな問題として心に飛び込んで来てしまった。
これも日本の現状だ!

◆住民票なく小学校にも通っていない11歳女児が餓死◆
 岡山県倉敷市中庄団地の県営住宅で9月下旬、女児(11)が餓死しているのが見つかり、倉敷署は17日、母親の無職飯島由美子容疑者(50)を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。飯島容疑者は「ハチミツをなめて暮らしていた。親の責任を果たせず、悪かった」と供述しているという。
 調べによると、飯島容疑者は6月下旬から知り合いの無職男性(79)と同居。この男性が7月初め、病気で入院したため、所持金がなくなり、女児に十分な食事を与えず、9月上旬に栄養失調で死亡させた疑い。
 9月23日夜、「異臭がする」との近所からの通報で駆けつけた同署員が布団の上で女児の遺体を発見。そばに衰弱した飯島容疑者が座り込んでおり、倉敷市内の病院に入院した。遺体は死後約3週間が経過していた。
 女児は小学校に通っておらず、母子の住民票も市に提出されていなかった。
(10月17日12:47)
YomiuriOnLineより

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◆STAR WARS EPISODE Ⅱ/Attack on the Clones(クローンの攻撃)

我が家の近くの町に新しくCINE WORLD(レストラン・ビリヤード・ジム・ボーリング・ゲームが併設)ができたました。
学校用品のお買い物目的に行ったのですが、目新しいものはついつい覗きたくなってしまう。
UKでは日本語の字幕スーパーもないから(当たり前!)私自身は気が進まなかったのですが、映画が始まってしまえばそれなりに一生懸命見てしまう。

娘の希望は「About a boy」だったのですが、チケット売り場で「12歳になってる?」と聞かれ、「いいえ、後2ヶ月で12歳です。」と正直ものの娘は答え、この映画を見ることが出来なくなってしまいました。ここ英国では年齢別に、見ても良い映画、見てはいけない映画を自治体により、はっきりと決められています。そこで、PGの親が同伴なら見ても良い「STAR WARS EPISODE Ⅱ」を鑑賞することになりました。
自治体による映画年齢別公開指定:U =年齢制限なし
                      PG=(Parental Guidance=保護者同伴ならOK)
                      12=12歳以上
                      15=15歳以上
                      18=18歳以上
暴力シーンの多い「スパイダーマン」は各地方自治体がPGにまで規制緩和をしたため、映画の検閲機関である英国映画等級指定委員会(BBFC)では自治体を抗議する問題が現在発生しています。


お友達との間では今回のSTAR WARS EPISODE Ⅱは不人気ですが、副題「Attack od the Clones(クローンの攻撃)」が現代を象徴しています。今回の「STAR WARS EPISODE Ⅱ」もさることながら、「スパイダーマン」はクモに刺されたことが原因となり、遺伝子の組換えが行われ超人的なスパイダーマンになってしまいました。近年の生命科学の発展は目ざましいものがあり、映画題材としても多く使われています。
東京大学ではクローンに関するゼミが開かれ、クローンに対する人種差別問題なども提議されたようです。遺伝子組み換えの子羊ドリーが1997年にUKで生まれ、世界を驚かせたのはたったの5年前。日本ではクローン牛が成功し、この技術を使って内蔵の生産が始められ、お隣、韓国ではクローン技術を人間にも応用されるなど、人間の病気の治療法の開発に必要だっただけではなく、人間が試験管から生まれ、私たちと一緒に生活できるほどに完成された技術になってきつつあるようです。イタリアのクローン推進医師、セベリノ・アンティノリ医師はクローン技術により妊娠した女性は4月上旬に第8週目に入っているというニュースだったと思いますので、今年10月にはクローンの人間が誕生することになります。クローン妊娠している女性は2002年4月時点で、3人存在、2人はロシアに、もう1人はあるイスラム国家にいるようです。

畜産分野(農水省)医療(厚生省)産業応用(通産省)+特許の問題、ここからもクローンがいかに有効か理解できますが、人間としての心の問題が大きく影響します。
自分の心をクローズアッップさせながら、この問題を考えてみよう。
参考HP
日本のクローン規正法(文部化学省)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/seimei/
KODANSHA CO.,LTD・・・おすすめ!
http://kodansha.cplaza.ne.jp/hot/genome/indexes/index.html

映画の中では兵士としてガラスの培養管の中で大量に生産されているクローン。
しかも、技術により肉体的、精神的成長を早め10年以内に大人の高水準兵士を育て上げることができる。大脳皮質にコンピューター処理システムを直結させ精神の成熟をはかる。そこに忠誠心も埋め込んで行く。200体を生産するごとに7つの欠点を修復できるというのであるから、高水準のクローン兵士が次々に誕生する。できることなら作者ジョージ・ルーカスに聞いてみたい、こうして生産されたクローンが戦いで負傷した時、痛みはないのですか?と

この映画のコスチュームは日本の着物や日本髪を連想させるようなものも多く、異国で見てもどことなく懐かしさを感じさせてくれますが、現実に人間のクローンが技術的にも完成されつつある現在、兵士としてのクローン映画自体、人種差別を助長させる要因にならないだろうか。
技術的開発が進めば、人間の男と女から生まれてくる人間よりも遥かに優秀な人間ができるはず。
優れているものに憧れ、尊敬してしまう私ですが、クローンと知った相手に同じように尊敬や憧れを持てる・・・だろうか?今ここでは持てそうな気もすれけれど・・・ただ、そんな時代になりつつある現代に、クローン兵士の映画はやめてほしいような気もする。今地球上にクローン人間の存在がないから誰も気にかけないのかもしれないけれど、たとえば、自分がクローンだったらと置き換えて考え始めても良さそうな気がします。

歴史と科学、何時が世でも、大きな科学技術は悲惨な歴史を生んではいないでしょうか!
たとえ、絶滅の危機にさらされてる生き物があったとしても、クローン技術によって永らえておく必要があるのでしょうか?
この映画が抱え持っている問題は遥か遠いい未来の話でもないと思っているのは私だけでしょうか?

私たち親子は、娘は幼さからの見解の違いがあり、母は英語が?で見解の違いがあり、二人合わせてやっと、この映画の理解が深まって行く!この夜は12時過ぎまで親子で映画の話で盛り上がりました。この映画を元にクローンについて邪心のない子供たちがどう反応するか、たくさんの子ども達の感想を聞いてみたいですね。

クローンの戦闘準備が整ったところで、映画が終了になっているので、EPISODE Ⅲではクローンたちがどうなったのか見なくちゃと思う心理は製作者側の意図にすっぽりいとはまっている証拠ですね。

イギリスの映画料金
大人£3.90 夕方5時過ぎは£5.20
14歳以下の子供は£3.60
曜日による割引もあります。
※英国の映画館は食べ物の持込は禁止です。But、映画館の売店で売っているポップコーン、ドリンク、アイスクリーム、お菓子はOK、さらなるBut・・このポップコーンは映画のチケット代よりもお高いんです!

Petiteママのつぶやき
11歳の娘は最終的に「私も優秀な人間としてのクローンで生まれても良かったな!」となりました。私は親子間の愛情関係が円滑にいかなくなるのではないかと考えます。
子供がお腹にやどり、最悪のつわりで3回入院、分娩室に入ったまま4日間の難産。でも最後まで陣痛促進剤を拒否し続けた、自分の心や体よりも子供を最優先させてしまうのは、神様からお預かりしている子供だから?このあたりが、どうも違ってくるような気がします。人間が故意に発生させた人間(クローン)も神様が与えたものになるのでしょうか?人間は神様ではないのだから人間を作ってはならないとも思える・・。
一方で、子どもがかわいいと思える親の精神構造の解明と、自分がいつも幸せを感じることができる精神構造の解明ができ、それをクローンに注入できたなら平和な地球になるのではないかと思ったりもする。
子どもと同じように夫にも無償の愛をささげることができたなら、世の中平和なんだろうなーーー?

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親とは

娘がまだよちよち歩きの頃から身障者センターにある遊び場によく連れて行きました。
彼らと同じ空間の中でコミュニケーションのとれる人間であって欲しいと願いました。
人間は目に見える五体満足と、目に見えない心の満足とどちらも同じに思うから・・・・・・
体は今のところ足りてるけれど、心はこれいかに・・・。
知能遅れの彼らのほうが、私よりも娘よりも・・・。
子どもにとって体の成長も知育も大切だけれども、その成長とともに育っている人の心、人格。
父親の存在がない娘の心の障害が私にはいつもきがかりでした。

世の中の当たり前は国によっても家庭によっても個人によっても違う。我慢する心を育てるのではなく、相手を理解し認められる多くのものさしを持てる人間に育ってくれたなら、母の私のように苦しい人生を歩まなくてすむのではないかと・・・・

親とは自分に大きく不足しているものを子どもには与えたくなるものです。

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◆「優しい心をいただいて」

本当にありがとう。こころが癒えました。
人は不安から緊張が生まれ、優しさから心の安らぎが生まれる。
緊張の先には良いことは多くないけれど、
優しさ ー 安らぎ ー 安心 ー 余裕このくらいにとどめておかなくちゃね。
安心しすぎてご迷惑が見えなくなっているときがあったら気付かせてくださいね。

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「宇宙が地球が神様が創った人間なんだから」

東大に入るために時間を惜しんで勉強しても、イチロウのように大リーグで活躍するために訓練や精神を研ぎ澄ますことに集中しても、誰もムダとは言わないだろう。

だけど、お金や名誉に関わらない事に全身全霊をかけることにムダな労力と感じることの多い我々。
そこにはこころの自由がない。
相手を最初から自分の思いどうりになんかならない存在と認めていたなら、
こんな心の不自由から開放されてたら、
この世の中、何でもできるんだよ。
全身全霊をかけてね。何でも!

でも、ここで人間世界は難しいことにぶちあたるんだ。
自分のその行動によって、迷惑をこうむる人、心が切なくなる人
そんな人間関係が発生してしまった時こそ、その人間の対処の仕方、
考え方が本当の人間性となって現れるんだろうね?

宇宙が、地球が、神様が作った人間!
あなたは、宇宙や地球や神様を自分の思うような存在にできると思いますか?・・・・
それと同じ、相手は自分の思うようにはいかないの・・最初からね。
日本人はこの宇宙観に通じる神的な考え方がないから現実のお金や名誉を重視し、自分自ら心の自由を奪ってしまうのだろうか?

お国柄も関係なく、多くの人間がこの問題に直面するのが恋愛感情からのような気がする。
人を好きになることは何にも増して全身全霊で、ですものね。

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「ごめんなさい。」と「ありがとう。」

勇気があるとか、ないとか、人は言うけれど、自分で気付く出来る限りのことをやり、後は回りも含め、時が運んでくれるのを考えながら見ている。そして、そこで、自分でできる何かが見つかれば同じようにできるだけのことをやればいい。なるべく考えて、なるべく気付く、自分でできるだけのことをやる。それが私の人生。そこで、私は何を考え、何に気付き,何をやってきたのか、人生を逆説的に見ようとすると、今自分がやろうとしていることが人間的にどうなのか、どんな感覚で何の意義があるのか、ほんの少し見えるような気もする?でも、見まちがうことも多くて悲しくなってしまう。

実際は波乱万丈のパロディの人生やってます。
人生に一生懸命すぎて、真っ直ぐすぎて、人に笑われるごとくパロディになってしまう。

でも考えないよりも、行動しないよりも、充実した人生を送れているのかもしえない。
一度きりの・・・・・この地球で生きている私なのだから。

そう思うと、自分の子どもが、私よりも遥かに立派に見える。

そう思うと、私の周りの人間が私の生き方に協力してくれるからこそできることであり、感謝で涙が出てしまう。

ありがとう。お父さん、お母さん
年老いた両親は田舎で二人暮し。
娘の私にやりたいことを自由にやらせてくれてありがとう。
その上、心から応援してくれてありがとう。

ありがとう。
私の選んだ教育に離婚後も多大なる共感をいただきました。
私の妻としての不甲斐なさをごめんなさい。
ごめんなさい。と、ありがとう。で一杯です。

ありがとう。
あなたがいてくれなかったら、会社も娘の留学もありえなかったかも知れません。
私へのバックアップと勇気を与えてくれたあなたへ。
でも女としては失格ね。母親を捨てられません。
やっぱり、ごめんなさい。と、ありがとう。で一杯です。

人間は人間同士の上に成り立ち、それらの人間にごめんなさい。とありがとう。で深く結びついて行く。一人一人をここに書き連ねたならば、全ての人に多かれ少なかれ、ごめんなさい。と、ありがとう。の心があることに、そしてそんな関係でひとびとが結びついていることに気付くことでしょう。

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